COLUMN

2018/11/01

宝石商として20年。今でもこの仕事、大好きです。

宮澤理恵が宝石商になるまで。華やかなジュエリー業界の裏側。そしてこれからの挑戦。

1999年1月。
私は宝石の小売業の個人事業主として渋谷区に書類を提出して
小さなジュエリーサロンをスタートさせました。29歳の時でした。

私が「宝石商」を選んだ理由

実家が宝石に関わる稼業をしていたわけでもなく、
母が宝石好きだったわけでもないのに、
なぜ私が宝石の仕事を選んだのか……

そのきっかけは、私の大学時代まで時をさかのぼることになります。

「英語を使って世界を飛び回るような仕事に就きたい!」

当時から海外に出ることが大好きだった私は、長期休暇にはアメリカやカナダへ短期留学をしていました。


異なる価値観の人たちと英語で会話をすることにわくわくし、「英語を使って世界を飛び回るような仕事に将来就きたい!」という思いが大学在学中に強くなっていきました。

就職を経てもなお、海外で学ぶことへの思いは消えることなく、強くあり続けました。
とにかく「英語圏に行きたい!」が最大の動機でしたが、再び海外留学を決意することになります。

どんな場所で何をするかは二の次だったというのが本音なのですが……(苦笑・当時は若かったです)
興味を持っていた2つの分野で、アパレル業界であればニューヨーク、ジュエリー業界であればロサンゼルスにそれぞれ有名な学校があることを知り、ジュエリーの道へ進むことを選んだのです。

その当時、宝石を扱っている方との出会いが多く、「ジュエリーを扱ってみたらいいよ、すごく向いていると思う!」と強くすすめられたことがこの決断を後押しする最大の理由となりました。

ジュエリーは90歳になってもたずさわり続けることができる分野です。
「年齢を重ねれば重ねるほど、かっこいいかもしれない!年を重ねてもジュエリーが似合う女性になりたい!世界を舞台に仕事ができるかもしれない!」そんな思いもありました。

そうして1996年から97年半ばの1年半の間、アメリカ・ロサンゼルの米国宝石学会(GIA)に留学することになったのです。

宝石業界の登竜門GIAは世界中からいろんな人が集まる場所だった!

留学先は米国宝石学会(GIA: Gemological Institute Of America)。
当時はロサンゼルスのサンタモニカにありました。
(今はサンディエゴのカルスバッドという町に移転しています)

米国宝石学会(GIA)は、1931年設立の歴史ある非営利団体で、カリフォルニア州からの助成金交付を受けており、世界的な宝石学教育機関と、鑑別・鑑定機関、更に鑑定に関する研究を行う研究所から成っています。

米国宝石学会(GIA)の宝石学修了者(GIA-GG)は、日本国内ならず世界中の鑑定・鑑別機関で鑑定士として活躍している人の多くが持つ称号です。

日本国内で現在使用されているダイヤ鑑定の基準は、この米国宝石学会の基準に準じているとされています。
米国宝石学会(GIA)は、ダイヤモンドの鑑定機関としては最も信頼度と権威があるとされています。

ですから、世界中から宝石関係者がたくさん集まってきていました。

南アフリカで金の鉱山を経営するファミリーの女性、
スリランカで何世代も受け継いで宝石を扱う男性、
台湾の大富豪、
韓国のスーパーリッチな女性、
全米に店舗を持つジュエリーブランドの御曹司(しかもイケメン)……

日本では出会えないタイプの人たちがたくさんでした!

 

ご縁をいただいて、授業が早く終わる日には、ビバリーヒルズの宝石店でアルバイトをさせていただいたりもしました。

 

カルティエの150周年パーティーに参加した時には、当時の大人気女優ブルック・シールズさんや、フランス女優のジュリエット・ビノシュさんに遭遇し、目が眩むほどのまばゆさだったことを覚えています。

多彩な人種、スーパー富裕層、たくさんの質問が飛び交う授業……
日本で育った私は接するもの全てにカルチャーショックを受け、毎日がとても刺激的でした。

また、宝石を扱うことは、専門知識を学ぶだけでなく、いろんなタイプの富裕層を知ることでもあると、この時に体感することができました。

こうした環境で、宝石の鑑定・鑑別・彫金を1年半かけて学び、いずれは独立して自分のビジネスをしよう! と希望に胸を膨らませて帰国したのです。

日本の宝飾業界って暗くない??

帰国してすぐ、東京の卸売の会社に就職しました。
日本の宝飾業界事情を全く知らないままでしたが、独立を前提として働きたい旨をお伝えし、展示会の運営、仕入れ、値付け、営業などさまざまなことを経験させていただきました。

宝飾業界は華やかに思われますが、裏方は……それはそれは地味です(笑)。

大切な商品を扱うので、丁寧さや几帳面さが要求され、とにかく細かい作業が多い現場でした。

華やかな印象は皆無でした。

就職した会社では、地方の呉服店やブティックなどに宝石を卸すことがメインの業務でした。

呉服屋さんと一緒に得意顧客の個人宅にお伺いしたり、展示会で宝石を展示販売する仕事を主に担当しました。

独立の夢を抱き、憧れの仕事に就いたはずの私ですが、当時はかなりの違和感を感じていました。

アメリカで感じた宝石をつける楽しさやわくわく感が、日々の業務の中に全く感じられなかったのです。
今思えば当然なのですが、当時はどうしてもなじめませんでした。

「ジュエリーを身に着けるわくわく感を伝えたい!」
そんな想いが日に日に強まり、独立への気持ちがかきたてられていきました。

いざ独立!自分の思うようにやってみよう!

決心して、29歳でジュエリーのセレクトショップとして独立しました。

独立当時のことを思い出すと、今でも震えるくらい無計画でした……(汗)

何しろかばんひとつで上京し、お客様は一人もいなかったのですから。

それでも「若さ」はすごいです。

まずは知り合いを回って独立したことを伝え、ジュエリーへの想いを語り、私が扱うジュエリーにわくわくしてくださる方を少しずつ増やしていきました。

初めて10万円の商品が売れたときは忘れられません。

10万円もの商品を買っていただけたことにまず驚きました。

何よりも、その時のお客様のとてもうれしそうな表情を見たとき、
「そうそう!こういう場面にたくさん出会いたかったの!」
とさらにやる気になったことを覚えています。

その後、購入してくださった方から口コミでご紹介をいただくようになり、ご縁が広がっていきました。

ますます宝石に関わることが楽しくなっていったのは言うまでもありません。

宇和島の真珠の作り手との大切な出会い 

独立した当時からおつきあいをさせていただいている仕入れ先のひとつに、宇和島で真珠養殖をされている会社がありまます。

自ら養殖場に何度も足を運び、作り手の話をお聞きし、その会社の真珠への想いを強くしていきましたが、その会社は他ではできない養殖技術をもっていることが最大の強みです。

こうした他にはない真珠を使わせていただくことが私にとっても大きな武器となり、こだわりのある宝石店への卸売りも始めることができました。

この魅力的な真珠をさらに拡販していくために、独自に代理店をつくり、センスのいい素敵な女性とチームを組み、これからますます力を入れて発信していきたいと考えています。

私にとってとても大切な真珠です。

そして20年。まだまだやりたいことがたくさんです。

気が付けば、1999年に独立してから20年が経過しようとしています。

途中、結婚と出産があり、思うように動けなかった時期もありましたが、その間の女性としての経験もいまから迎える50代には、大きな糧となって生きてくると確信しています。

これからも、ジュエリーのあるわくわくした生活をより多くの方に提案させていただきたいと思っています。

また、一度ご縁ができたお客様とは永いお付き合いをさせていただけるように、人間としての魅力を磨いていきたいと思っています。

また、大好きな真珠を世界市場に持ち込むチャレンジや、オリジナルのブランドづくりにも取り組んでみたいと思っています。夢は尽きません。

先輩の宝石商の方から言われ続けた言葉があります。

 「宝石の仕事は50代からがほんとうに楽しいよ。」

いよいよその50代に突入かと思うと、わくわくがとまりません。

そして90歳を迎えた時には、赤のネイルとリップをつけて、白のポルシェで都会を疾走していたいと夢見ています。